中部弁護士会連合会

中弁連からのお知らせ

裁判員裁判の評議に関する明確なルール作りを求める宣言・提案理由

1 裁判員の自由な意見表明の確保

裁判員の参加する刑事裁判に関する法律が制定され、2009年5月までに、一般市民である裁判員が裁判官と共に刑事手続に参加する裁判員裁判が始まる。

裁判員法が導入された趣旨は、裁判内容に国民の感覚を反映させ、これによって刑事裁判に対する国民の理解と支持を一層深め、司法の国民的基盤を強固にするという目的とともに、裁判へ国民の常識を反映させることで被告人ひいて国民の人権保障をより確保しようとして導入されたのである。

裁判員制度がその期待される役割を果たしていくためには、裁判員の意見及び判断が判決に反映されることが当然必要であり、それを可能にする制度設計をすることが法曹三者の責務である。

そして、裁判員が裁判員裁判において最も主体的に関わるのが評議であるから、その評議のあり方は、裁判員制度の成否に関わる重要な問題である。

裁判員は、事件ごとに選任されるため、裁判の経験・知識・情報量等において、裁判官とは圧倒的な格差がある。さらに裁判官は公判前整理手続を経ているため、当該事件に関する情報量も必然的に格差が生じる。現に今回の模擬裁判でも、裁判官の説示により、評議の進行が大きく影響されることが明らかになった。また、これまでの模擬裁判でも、評議における裁判官の挙動により、参加する裁判員の意見が必ずしも十分に反映されたとは言えない結果を招いたケースを目にしている。

さらに新しく設けられた部分判決制度では、それ自体の問題点もさることながら、情報量の格差等はより深刻なものが考えられる。

したがって、評議において、裁判員が十分にその意見を表明し、納得のいく議論を行うことができるようにするためには、少なくともそれを可能にする環境を整える必要があり、そのことも上記の法曹三者の責務のひとつであることは疑いがない。

2 評議に関するルールの必要性

裁判官の研究会での評議についての議論では、参加した裁判官のなかでは「裁判官として、裁判員が自由に意見を述べられるよう可能な限りの配慮をするという姿勢が重要であることについては、全く異論がなかった」とされ、また、裁判官と裁判員との意見が異なった場合については、「裁判官としては、そうした場合には一度自分の考え方を原点に返って見直してみるべきであり、その結果、裁判員の考え方を受け入れることができるものである場合には、あえて従来の裁判官としての考え方に固執すべきでなく、裁判員の意見に同調することもためらうべきではない」という意見が広い支持を集めたとされる(判例タイムズ1221号12〜13頁)。

しかし、評議を主宰する裁判官の手腕や力量、あるいはその意向ひとつで評議の進行・内容が大きく影響を受けるような制度は、根本的に問題である。どのような裁判官が担当しようとも、どのような裁判員が裁判を担おうとも、大数的には、ほぼ均一な裁判の質が保障されていなければならない。

そのためには、裁判官の個人の力量に頼るのではなく、望ましい評議が行われるような客観的な制度を構築する必要があり、かつ、市民が参加する裁判員裁判であるからこそ、その評議に関するルールは、市民からも明確にわかるかたちで公にしておくことが望ましい。

第3 評議の事後的検証可能性について

さらに、被告人の公平な裁判を受ける権利を確保するためには、評議の事後検証可能性を確保することが必要不可欠である。

裁判員裁判による第一審判決における事実認定は、控訴審においても本来は当然尊重されるべきであるが、しかし、これが評議においてゆがめられている場合にまで尊重される必要はない。従って、裁判員裁判における第一審の事実認定が適正になされたかを検証することを可能にするためには、評議の経過の記録化が必須である。ゆがめられた評議があれば、裁判員はこれに異議を提出できるものとし、そのように異議を提出したことは「評議の秘密」に含まれないとして、守秘義務違反の対象から外すとともに、それを控訴理由とできる制度も検討されるべきである。

何故なら、適切な説示は、裁判員に判断権者として相応しい識見を備えさせるためのものであるから、言わば事実認定の適正さを担保するための制度的保障であって、不適切な説示は、評議そのものの存在意義を失わせるため、手続的に見て、判決を破棄すべき事態に立ち至ることが当然あり得るし、また、不正確な評議についても同様に言えるからである。

但し、評議における自由な意見表明を確保する必要上、裁判官や裁判員の匿名性を保持する必要があり、それを配慮した記録化の方法が考案されるべきである。また、事後検証の方法についても、インカメラ方式等の適切な事後検証方法が考案されるべきである。

これまでのところ、2007年7月制定の裁判員の参加する刑事裁判に関する規則においても、評議に関する規定は十分ではなく、ルールの策定には至っていない。上記のような問題点を解消するには至っていないのである。従前より、日弁連からも評議のルールの策定の必要性を示し、具体例も挙げて評議のルールの策定を求めてきているところであるが、改めてルールの策定を強く求めるものである。

また、裁判員裁判の評議そして裁判員裁判全体を検討すればするほど、現在の裁判員裁判に関する法令等についても、裁判員裁判の趣旨を活かす方向で、多々改定すべき点のあることが痛感される。裁判員裁判の施行までに再度の議論を行うとともに、現実に行われる裁判員裁判においては、常に、本提言等の問題意識をもって取り組み、謙虚な姿勢で法令の改訂等に臨むべきである。

4 具体的提言の内容

    評議の進め方のルール化

    1. 司会役の裁判官は、評議全体を通じて司会役に徹するべきである。
    2. 裁判官は、裁判員より先に意見を述べてはならず、裁判長は、自らの意見は最後に述べるべきである。
    3. 裁判員に対する問題提起は、刑事裁判の原則(合理的な疑いを容れない程度の心証を得るに至ったか否か)に則してなされなければならない。
    4. 各裁判員に意見を表明する機会を平等に与えなければならない。
    5. 裁判員相互の意見交換を促すよう努めなければならない。
    6. 裁判官は、議論の初めに各裁判員が意見を述べる段階で、これに反論してはならない。
    7. 裁判官は、裁判員に対して威圧的な態度をとってはならない。
    8. 裁判官は、自己の意見と異なる意見を表明する裁判員を執拗に説得したり、特定の裁判員と集中して議論に及んではならない。
    9. 評議は、裁判官及び裁判員の全員が一致した結論となることをめざして十分な議論を行わなければならない。

    説示内容の充実と説示の時期及び回数の法定化

    1. 裁判長は、論告及び弁論に基づいて争点を整理し、双方当事者の結論に至る理由付けを平易に説明しなければならない。評議すべき事項とその順序は、裁判員の自由な発言を確保しながら整理していくべきである。
    2. 法39条説明について、モデル案のより一層の充実化が図られるべきである(例えば、無罪推定の原則や証拠裁判主義等を事案に応じて分かりやすく説明し、かつ裁判員の理解を確認する等々)。
    3. 裁判長は、評議の冒頭において、改めて、立証責任の所在、証拠裁判主義、必要な立証の程度の説明をしなければならず、かつ、一定の重要な時期、例えば、争点ごとの評決を行う前や、全員の意思確認を行い争点に結論を与える場合などにも説明をしなければならない。

    評議における争点の確定

    1. 被告人の最終陳述終了後、裁判所は、評議において取り上げるべき争点、論点等及びそれらの評議順について、検察官及び弁護人から意見を聴取し、争点等や順序の概要を整理しなければならない。
    2. 評議は、@の整理結果に基づいて行わなければならない。

    評決ルールの見直し

    無罪方向の意見に裁判員4名以上の賛成があるときは、裁判官3名+裁判員2名の賛成では、有罪方向と出来ないこととすべきである。

    評議の事後検証体制の構築

    1. 評議の経過を録音、録画等の方法によって記録し、裁判員及び裁判官の各最終評決の結果を記録しなければならないものとすること。但し、裁判官及び裁判員の匿名性を保持する方法で記録されるべきである。
    2. 裁判員は、自由な意見を述べられなかった、あるいは自由な意思で判断できなかった場合に、評議に対する異議を提出できるものとし、これは「評議の秘密」には含まれないものとすること。

5 各具体的提言内容の説明

    評議の進め方について

    裁判員裁判の趣旨からして、裁判員の感覚を裁判内容に反映させることが必要である。そして前記のとおり、裁判官と裁判員との情報量や裁判経験等の格差があるから、裁判官は裁判員が意見を表明しやすい体制を整備する必要があり、裁判官の言動によって、裁判員に萎縮的効果を与えるようなことは許されない。

    評議の程度について

    裁判員制度の趣旨からして、これまで裁判を担ってきた職業裁判官の感覚と一般市民の感覚を十分にすりあわせていき、その成果として、裁判官及び裁判員がそれぞれ納得した結論を導くことが望ましい。また、参加した裁判員が、最終的な結論である判決と自分の意見とが、たとえ異なる結果となっても、判決それ自体としては納得できるという程度にまで議論が熟することが、裁判に対する国民の支持を深めることにもつながる。

    一方で、異なる意見を述べる裁判員を執拗に説得するということは決して望ましいものとは言えないので、全員一致を必須とすることも、また適当ではない。

    もちろん裁判所による評議の土俵設定やリードは、反面において、裁判員による評議の流れを左右するところがあり、前項の評議の進め方で指摘した幅広い意見表明を阻害することないよう配慮される必要はあろう。

    評議における争点の確定について

    密室で行われる評議につき、予め裁判の当事者が、その評議で取り上げるべき事項や基本的順序等の要望を明確にし、裁判所にも確認させることで、公判での審理結果を正確に評議に反映することができる。かつ評議において、不意打ち的な評議がなされることも防止できる。

    もちろん、この確認等をもって、評議を固定化してしまうことにも問題はあり、特に弁護人が指摘できなかった点ないし無罪方向での議論を制限すべきではないであろう。

    また、被告人に不利な方向での新たな論点提示はできないという対応も考えられる。あるいは、新たな論点等だけではなく評議順についての重要な変更をする場合も、裁判所は、検察官及び弁護人に対し改めて防御の機会等を与えるという制度も考えられる。

    説示内容の充実と説示の時期及び回数の法定化について

    最終評議は、裁判員に対し、議論の全体像を提示した上で始められるべきである。各争点の事件全体の中での位置づけ、相互の理論的な関係などは、裁判を通して事件全体を理解する上でも必要である。

    刑事裁判の基本原則については、裁判員に対して何度説示されても多すぎることはない。評議こそが、各裁判員がこれらの基本原則に従った判断をする場面であり、評議の冒頭、また重要な場面での基本原則の確認は重要である。

    評決ルールの見直しについて

    現在は、評決は裁判員、裁判官の双方を含む過半数と定められているが、裁判員の過半数が十分な議論を経た結果として無罪という心証に達した場合、市民の感覚の反映を目的とする裁判員裁判においては、過半数の裁判員の意見は尊重すべきである。

    評議の事後検証体制の構築について

    これまでの裁判においては評議の秘密性が当然のものとされ、裁判員裁判においても、それを当然の前提とするような制度作りがなされてきたように思われる。しかし、全国各地で行われた裁判員裁判の模擬裁判では、裁判員も加わった評議が広く公開され、その難しさや危うさ等が広く実感されたのである。

    裁判の結論を出す評議の場こそ、刑事裁判の原則が厳格に維持されるべき場であり、かつ一般国民が参加する裁判員裁判であるからこそ、より客観的なルールや法制度等が構築されるべきである。

    そして、それを担保するのが評議を検証できる体制の確保である。前述のとおり、控訴審との関係で、ひいては、被告人の権利の確保のためにも必要である。

6 量刑について

    今回の検討では、裁判員裁判の事実認定に関する評議を中心にしたため量刑に関する評議をどうするかについてまで深く掘り下げるには至らなかった。

    我々としては、裁判官と裁判員による評議一般として、この提言や考え方が合理的であり、これは量刑の評議についても基本的な方法として妥当すると考えるが、しかし、これまで各地で行われた模擬裁判においても、有罪認定後に裁判員を入れて行われる量刑に関する評議の過程は、裁判所から提供される量刑資料などの特有の問題も孕んで、各地で問題が浮き彫りになっている。

    現状で既に明らかとなっている問題点を2点、指摘しておく。

    第一に、量刑資料を示す時期の問題である。

    裁判員制度において健全な市民感覚を量刑に反映させるためには、従来のいわゆる量刑相場にとらわれない新鮮な感覚を保つ必要がある。そのためには、量刑に関する評議の冒頭で裁判例を示し、それとの対比において量刑の幅を画するような評議は妥当ではなく、より直裁に市民感覚からあるべき結論(服役させるべきかどうかというような大づかみなもので始めても良い)を発言していく方が望ましいと言える。しかし、各地の模擬裁判では、評議の冒頭で量刑資料が示され、そのために裁判員が刑罰制度の趣旨など根源的な思想に思いを致すこともなく、当該量刑資料と事案との対比から量刑判断を導き、例えば本来議論されるべき執行猶予の当否が議論から抜け落ちるような事態も散見される。

    また第二に、量刑資料の選別の問題である。

    量刑判断は必ずしも市民感覚からのみ導かれる性質のものではなく、特に懲役の年数などに関し、適宜、量刑資料を参照する必要性がある場合もあるが、示される量刑資料の軽重により量刑評議が一変する事態がやはり散見される。同種事案で重い量刑を示した裁判例に量刑資料が偏れば、裁判員の意見も自ずから重罰に偏る傾向があり、適切な量刑資料の選別のための検察官及び弁護人の関与、防御の機会の確保を認める必要があると思われる。

    いずれの問題点も、裁判員が量刑資料に極めて多大な影響を受け、それにより市民感覚での議論が阻害されてしまう現実を示唆している。評議においては、刑罰制度の趣旨や刑務所の実態などについて裁判員に適切な理解を求め、その観点からの量刑評議を原則とするべきであり、間違っても量刑資料に依存した量刑評議であってはならない。

    今回のシンポジウムでは、量刑に関する評議部分については、上記の量刑資料の問題点の指摘のほかは、それが極めて重要な論点でありさらに検討を重ねるべきところであること、また、この点の明確なルール化ないし手当がきちんとなされないまま安易に裁判員裁判が「実験」的なものとして行われていくべきではないとの考えもあることを指摘するに止めるものである。


以 上




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