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子どもの社会参加を広げることを求める決議

この決議は、わが国における20歳未満の未成年者について、18歳から選挙権を付与されたことを機に、子どもの人権の視点に立って子どもの社会参加を広げていくことを目的とするものである。

18歳からの選挙権を認める「公職選挙法等の一部を改正する法律」のもと、最初の国政選挙である参議院選挙が平成28年7月10日実施された。この法改正は、子どもにも政治への参加を促すものであり、民主主義社会にとって重要な意義を有することは言うまでもない。

しかし、この法改正は、あくまで18歳、19歳への選挙権付与という「制度的政治参加」を拡大したものでしかない。この制度を実効性あるものとするには、彼らが自らの選挙権行使による政治参加がいかに有意義であるかを自覚し、自らの生活やその生活しているコミュニティに影響を与える政策決定に対して意見を表明したり、主体的に政治的活動に参加したりすることが政策決定に影響を与えることを理解するとともに、社会全体でこれを積極的に受けとめることが必要である。

そのためには、子どもたちの自由な政治的意見の表明や自由な政治的活動への参加が保障されるとともに、そのための政治的教養の自由な学びが保障されなければならない。そして、それは単に政治参加の場面だけでなく、日常的な生活の場において、子どもたちがコミュニティの一員であるという自覚をもって社会参加ができる環境のもとでこそ可能になる。

そこで、当連合会は、子どもの豊かな学びと社会参加の権利保障の視点に立って、子どもたちが、その育つ地域や学校などの日常生活の中で、誰もが自分らしく自由に、安心して意見表明ができることを可能にし、社会の主体的な一員へと成長できるように、子どもたちを支える重要な役割が期待される学校の現場に対して以下のとおり求めるとともに、私たち弁護士も、子どもたちの社会参加に向けて果たすべき役割を自覚して行動を起こすため、以下のとおり決議する。


1 私たち弁護士は、子どもの主体的な問題解決の支援、法教育、いじめ予防出張授業、共同研究などを通じて、学校や地域で、子どものパートナーとしてさまざまな活動ができることを再認識して、子どもの主体的な社会参加の実現のため具体的な行動を起こすこと。


2 子どもたちは、学校教育の場において、学校内外における自主的活動を過度に管理、抑制されることなく、かつ、その成長発達段階に応じて、政治に関する多様な意見が存することを学び、主体的な思考や意見表明に配慮した教育を受ける権利を保障されるべきである。そのために、学校、教育委員会、文部科学省は、教育関係の専門的研究者、子どもの人権問題に精通した法曹などと幅広く連携、協力関係を形成し、子どもたちの豊かな学びの環境整備に努めるべきである。


2016年(平成28年)10月21日
中部弁護士会連合会 




提 案 理 由


1  この決議の目的は、わが国における20歳未満の未成年者について、18歳から選挙権を付与されたことを機に、子どもの人権の視点に立って子どもの社会参加を広げていくことを目的とするものである。

なお、国連子どもの権利条約は18歳未満を子ども(児童)と定義し、児童福祉法も18歳未満を「児童」と定めている。他方で、改正された児童福祉法は、18歳以上の者も自立援助の必要に応じて児童福祉の対象に含めている。

この決議においては、子どもの社会参加の支援という課題について、20歳未満の未成年者を念頭に置くこととした。

2  平成27年6月17日、選挙権年齢を18歳以上に引き下げる「公職選挙法等の一部を改正する法律」が成立した。

同法律成立後初めての国政選挙である平成28年7月10日の参議院選挙における18歳、19歳の投票率(選挙区)は、18歳51.28%、19歳42.30%との全数調査の結果が報告されている(注1)。

若者層の政治的関心が高まっていくのか、それとも、低下して無関心層が広がるのかといった評価は今後の議論に俟たなければならないが、いずれにせよ、18歳、19歳の年代別投票率も、18歳と19歳を合わせた投票率46.78%も、いずれも全体の投票率54.7%を下回っており、この選挙において、新たに選挙権を与えられた18歳、19歳がわが国の政治課題に新たな視点を提起したり、新しい波を巻き起こしたとは認識されていない。そのいかにも波静かな国政参加のデビューは、過去の市民が、自らの生活を守るため平等な選挙権を獲得しようとした民主主義社会への闘いの歴史とは様相が大きく異なっている。

そもそも、18歳からの選挙権付与は、若者層の選挙権、政治参加を求めるうねりがあって、それに応える法制度として実現したものではなく、国から「与えられた」ものといえる。こうした18歳からの選挙権の行使による政治参加を社会がどのように受けとめ、また、彼らが自らの選挙権の意義をどのように自覚するのかは重要な課題である。

すなわち、18歳からの選挙権というもの自体が子どもたちの政治参加を促すものであることはいうまでもないが、それはあくまで「制度的政治参加」の拡大に過ぎない。その制度的政治参加の拡大が実質的な意味を持つためには、子どもたちの自由な政治的意見表明や自由な政治的活動への参加が確保されるとともに、そのための政治的教養の自由な学びが確保されていなければならない。

3 選挙権を付与された18歳、19歳の新有権者の側からは消極的、否定的な意見も出ている(注2)。

例えば、選挙制度の改正は、子どもたちの意見を十分に聴いた上でなされたわけではないのに、ただ単に投票に行けというのは一方的に過ぎるとか、学校でも現在の政治のあり方などについて何も学ぶ機会がないし、意見を言う場もないとか、選挙権を認めたのは、単に18歳の投票を政党のおとなたちが自分に都合よく利用しようとしているだけではないかなどというものである。

こうした意見は、前述した改正の経緯に鑑みれば当然に予想されるものである。このような当事者の率直な意見に対しておとなは真摯に向き合わなければならないが、これに対して真剣に答えようとするおとなは必ずしも多くはない。

その原因として、おとなたちが、子どもたちの持つ本当の力を見誤り、過小評価している点を挙げることができる。

しかし、果たして子どもたちの力はその程度の弱いものなのだろうか。

私たちは、地域の子ども権利条例の策定などの活動や、戦争に反対して平和憲法の理念の実現を追求する市民活動などに自主的に参加し、おとなとのパートナーシップで意見を表明できる子どもが存在することを知っている。

また、学校などによるそれらの自主的な活動の規制、宿題や受験の重圧の中で、悩みながらも懸命に努力してそのような自主的活動に参加する子どもの存在も知っている。中には、自らの責任のない貧困などの事情により声を上げることなく、日々生き抜くことに懸命な子どももいるが、そうした子どもたちも計り知れない可能性と力を持っていることも知っている。

今まさに、こうした子どもの声に耳を傾け、子どもたちと同じ目線で、主権者として学ぶことができる教育のあり方、真の子どもの社会参加を考えるべきである。

4 ところが、文科省を軸にした学校教育の現場では、つい最近まで、必ずしも子どもたちの自由な政治的意見表明や自由な政治活動への参加、及びそのための政治的教養の自由な学びが保障されていたわけではなく、子どもたちの社会参加という視点が十分にあったかは疑わしい。

文科省は、今回の公職選挙法改正に際して、平成27年10月29日初等中等教育局長通知「高等学校における政治的教養の教育と高等学校などの生徒による政治的活動等について(通知)」(以下「新通知」という)により、「生徒は未成年者であり、参政権が与えられていないことから明らかであるように、国家・社会としては未成年者が政治的活動を行うことを期待していないし、むしろ行わないよう要請しているともいえる」などとして、高校生の政治活動を規制していた昭和44年10月31日「高等学校における政治的教養と政治的活動について(通知)」(以下「旧通知」という)を廃止した。

しかし、この新通知においても、高等学校の生徒による政治的活動について、授業その他の学校教育活動の場面では一律に禁止し、放課後や休日の学校構内及び構外においても必要最小限の制約を超えた制限・禁止を求め、文科省の新通知に関するQ&A(以下「Q&A」という)において、放課後や休日の学校構外での政治的活動を行う場合における学校への届出を義務づける届出制の校則を条件付きではあるが許容するなど、高校生が政治的活動をすること自体が望ましくないとの考えに立ち政治的活動を制限していた旧通知の考え方を実質的に変えるものではなく問題が多い(注3、注4)。

また、上記「Q&A」には、校則の内容の決定や運用など、学校運営に関して生徒らが意見を表明し、あるいはその策定に際して生徒らの意見が聴かれるなど生徒らの策定プロセスへの参加の権利への理解は示されていない。

そもそも、学校生活においては、生徒らが校則などの生活のルールの策定のプロセスで主体的に意見を表明し、教員を含めたパートナーシップにより学校生活に参加することが、政治的教養を身につけ、意見表明の能力を伸ばして適切に政治的活動に参加できる素養を養う成長の基礎になるはずである。

子どもの社会参加とパートナーシップの原則を明らかにした最初の国際的基準であるとされる1990年リヤド・ガイドラインにおいても、青少年は、単なる教育の対象ではなく、積極的かつ有力な参加者として、教育のプロセスに関与させるべきであるとしている(注5)。

こうした観点からすると、文科省通知に窺える政治的教養の教育や政治的活動に対する抑圧的傾向は、子どもたちの政治的教養および政治的活動のあり方を学び、成長発達を遂げる権利を阻害する一つの要因となりうるものである。

以上のような運用状況に照らすと、18歳からの選挙権による「制度的政治参加」も、その運用の実質は、おとなに管理された「政治参加」に過ぎない。ニューヨーク市立大学環境心理学及び発達心理学の教授で、子どもを取り巻く物理的環境と子どもの発達との関連に焦点を当てた研究を行っているロジャー・A・ハートが子どもの参加の度合いを示した「参加段階モデル」(参加の梯子)でいえば、最下位3段の非参加(@あやつり A飾り B見せかけ)の段階にとどまるものというべきである(注6)。

5 ところが、子どもたちをとりまく環境自体が、核家族化、家庭の孤立、格差、貧困、虐待問題、人間関係の貧困化、無縁社会等々の諸事情により、地域のコミュニティの崩壊ともいうべき状況のなかで、多くの子どもたちは深刻な疎外感、孤立感を抱き、社会参加を妨げられる一方である。

このように、子どもたちがコミュニティの主体的な一員であることを自覚し、社会参加できるための社会的基盤自体が弱体化していることに鑑みれば、学校現場には子どもたちを支える重要な役割が期待されているのに、その役割を学校が担いきれていない。子どもたちの生活の多くの時間を占める学校では、生徒と教員に対する管理や競争があり、その環境のもとでいじめ、体罰もなかなかなくならず、必ずしも自由な意見表明ができるだけの安全、安心を保障されているとは言い難い状況がある。中学校・高校の学校教育の運営や、生徒の政治的意見表明・政治活動参加・政治的教養に関する教育活動は、「政治的中立性」を過度に求める「社会的圧力」により抑制される傾向があり、その結果、政治にかかわる多様な意見が存在することを生徒に伝え、生徒の主体的な思考を刺激するという視点に立つ教育活動はされにくい。

そのような問題状況を理解しなければ、18歳からの選挙権を真に主権者としての権利たらしめ、そのために必要とされる教育を深く考えることはできないのであり、単に子どもたちに選挙での投票を勧誘するだけに終わっては、18歳選挙権の「制度的政治参加」の拡大は実のないものに終わってしまうのである。

したがって、わが国における子どもたちの政治参加促進のための真の課題は子どもたちの社会参加の促進にあり、そのためには学校教育を中心として、子どもたちの自主的活動を過度に管理、抑制することなく、政治に関する多様な意見が存することを生徒らに伝え、生徒らの主体的な思考や意見表明が行えるような教育が行われるよう配慮することが重要である。

そして、そうした役割は学校教育や地域が単独で果たしうるものではなく、弁護士や教育学の専門家などの外部との連携・協力関係が不可欠なのである。

6 子どもたちは18歳に達したら、突然、社会のあり方や政治に目を向けて政治に参加することができるようになるわけではない。

子どもたちが、その育つ地域、学校における日常生活のなかで、さまざまな文化的活動や教育活動において、一人ひとりが自分らしく自由に、安心して意見を表明することができ、主体的に参加できる環境を確保される必要があり、その環境のなかでこそ、社会の仕組みやそこで形成されるさまざまな文化、そして政治的活動に対しても適切な関心をもち、的確な知識、教養を身につけながら、社会参加の度合いを高めていくことができるのである。

子どもたちの社会参加は、単に学校に通学する、就労しているなど何らかの社会的組織などに帰属している状態を意味するのではない。国連子どもの権利条約が認めている子どもの権利を総合して「子どもの参加の権利」と言われる。そして、その子どもの参加の権利の基本的根拠は、同権利条約12条に定める「子どもの意見表明権」であることが国際的な共通理解とされている。その意見表明権とは、「その子どもに影響を及ぼすすべての事項について自由に意見を表明する権利」である。その意味における「子どもの参加」について、ロジャー・A・ハートは「子どもの生活および子どもが生活しているコミュニティの生活に影響を与える決定を共有する」行為であり、おとなと子どもとの「共同決定・共同行動・共同責任」すなわち「パートナーシップ」を追求していくことを意味するとする(注6)。

この点、前述したリヤド・ガイドライン(注5)も「青少年は、社会において積極的な役割とパートナーシップを認められなければならず、単に社会化(socialization)と管理(control)の対象とみなされてはならない。」と定めている。

また、平成22年内閣府が発表した「子ども・若者ビジョン」の理念にも、「子ども・若者はおとなと共に生きるパートナー」という言葉が盛り込まれている。

子どもの社会参加とは、「社会の主体的な一員」になることを意味する。社会society の語源が「仲間」を意味するラテン語sociusに由来するとされていることを想起すると、民主主義社会においては、子どもの社会参加は「互いに助けあう(相互扶助)平等な仲間の一員」になることを意味すると言える。

7 子どもの社会参加を促進するための教育、おとなのパートナーシップのあり方、たとえば学校でのいじめ問題の解決にも、単に取締りの対象とされている子どもたちに、解決の力を認め、参加を認める方法など、具体的な子どもの参加のための方策を提案したい。

そのため、学校教育の現場においても、生徒らの政治的活動を過度に管理、抑圧することなく、政治に関する多様な意見が存することを生徒らに伝え、生徒らの主体的な思考や意見表明に配慮した教育が行われることが必要である。

1976年ドイツで教育と政治的中立性に関してまとめられたボイテルスバッハ・コンセンサスは、次の3点を確認している。


1)教員は生徒を期待される見解をもって圧倒し、生徒が自らの判断を獲得するのを妨げてはならない。

2)学問と政治の世界において議論があることは、授業においても議論があることとして扱われなければならない。

3)生徒が自らの関心・利害に基づいて効果的に政治に参加できるよう、必要な能力の獲得が促されなければならない。


このようなコンセンサスを基盤としてこそ、子どもの社会参加、政治的参加も適切に保障され得ると考えられる。

私たち弁護士は、18歳選挙権が認められたこの時機にこそ、学校や地域における子どもの自主的参加の権利を現実に保障するため、子どもの人権相談活動などを通じての子どもの主体的な問題解決の支援、法教育、いじめ予防出張授業、共同研究などを通じての交流など、子どものパートナーとしてさまざまな活動ができることを再認識して、具体的な行動を起こすべきである。

また、学校教育の現場に深く関わる、学校、教育委員会、文部科学省も、子どもたちの学校内外における自主的活動を過度に管理、抑制することなく、政治に関する多様な意見が存することを生徒らに伝え、生徒らの主体的な思考や意見表明ができるような教育が行われるよう配慮し、教育学、教育心理学、教育発達学などの教育関係の専門的研究者、子どもの人権問題に精通した法曹など外部との連携・協力関係を作り上げるべきである。

そこで、ここに決議する次第である。

以上

 
[ 参考文献・資料 ]
  • 注1 総務省平成28年9月9日発表。
  • 注2 NHKスペシャル「18歳からの質問状」(2016年5月4日放送)など
  • 注3 兵庫県弁護士会の「高等学校等の生徒の「政治的活動等の自由」の保障を求める会長声明」(2016年6月28日)は、文科省の平成27年10月29日通知およびその通知のQ&Aの撤回と、18歳以上か否かにかかわらず、高等学校等の生徒の政治的活動等の自由を原則として認める旨の通知を発することを求めている。
  • 注4 「高等学校等における政治的教養の教育等に関する意見書」    (2016年6月21日 日本弁護士連合会)
  • 注5 「少年非行の防止に関する国連ガイドライン」    (1990年 第8回国連犯罪防止会議決議)
  • 注6 Roger A Hart(1992)Children's Participation-from Tokenism to Citizenship INNOCEENTI ESSAYS N0.4,Florence:UNICEF International Child Development Center.    喜多明人著「子どもの権利条約と子ども参加の理論」    (立正大学文学部論叢第98号・1993年)

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