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「個人の尊厳」を後退させる憲法改正には断固反対する宣言

主権者である私たち国民が、あるべき憲法の姿を議論することは好ましいことではある。もっとも、報道機関等を通じて私たち国民が知るに至る最近の憲法改正論議は、もっぱら憲法第9条の解釈変更問題や憲法第96条の改正先行問題等、政治的関心の高い局所的な論議が中心である。しかし、このような論議とは別途、個人よりも国家や社会全体の利益を優先させる考え方に基づく改正論議が台頭してきている。すなわち、天賦人権の思想を否定した上で、「公益」「公の秩序」による人権制限を許容する改正案や、新たに国民の家族尊重義務、家族相互の扶助義務を導入することで個人を家族という共同体に埋没させかねない改正論議である。そして、このような論議がなされていることは、必ずしも国民に広く知れ渡っているとはいえない。

しかし、そもそも基本的人権は、すべて人間は生まれながらに自由かつ平等で、幸福を追求する権利をもつという天賦人権を意味し、自由を求める人類の長年にわたる努力によって獲得され、結実した「個人の尊厳」に由来する。したがって、天賦人権の思想を否定することは、かかる人類の長年にわたる努力の成果を否定するに等しい。そして、この「個人の尊厳」からは、価値の究極の担い手は、国家や社会全体ではなく、個々の人間であり、全体は個々の人間のために存在意義が認められるという考え方が導かれる。したがって、「公益」「公の秩序」が人権制約原理になり得ないことは明らかである。また、「公益」「公の秩序」による人権制約が認められれば、特に表現の自由が不当に制限され、国民の真意に基づく国政の実現が困難となり、ひいては国民主権原理が機能不全に陥ることも懸念される。さらに、「公益」「公の秩序」による人権制約は、平和主義をも脅かしかねない。国家や社会全体の利益を個人に優先させて戦争に突入した結果、多くの尊い人命を失わせた過ちを、私たちは二度と繰り返してはならない。

次に、家族は、「個人の尊厳」を実現するため、国家や社会全体から保護されるべき対象である。ところが、このような家族の位置づけを無視して、国家が国民に対し家族を尊重する憲法上の義務を新たに課すことは、家族間の扶助義務とも相俟って、個人を家族という共同体に埋没させ、個人の自律性を損なわせ、ひいては「個人の尊厳」を後退させるおそれがある。また、憲法において家族間の扶助義務を課すことは、家族による扶助を社会保障に先行させる根拠を与えることにもつながり、生存権の保障を不当に狭めるおそれもある。このような改正論議には、「個人の尊厳」を揺るがしかねない重大な問題がある。

以上述べてきたことは、憲法の根幹をなす「個人の尊厳」に関わるものであり、国民の日常生活を広範にわたり変容させるおそれのある極めて重要な問題である。当連合会は、このような憲法改正論議が台頭してきた昨今の情勢を深刻に受け止め、「個人の尊厳」が最も重要かつ不可欠な憲法上の理念であることをあらためて確認し、現行憲法が有する価値を広く国民に周知していくことを決意した。そこで、当連合会は、以下のとおり宣言する。

  • 「公益」「公の秩序」による基本的人権の制限は、「個人の尊厳」を否定しかねないものであるから、これに断固反対する。
  • 憲法上、家族を尊重する義務及び家族の相互扶助義務を国民に課すことは、「個人の尊厳」を後退させるものであるから、
    これに断固反対する。
  • 法律実務家で構成される団体の連合会として、昨今の憲法改正論議に警鐘を鳴らすとともに、現行憲法が有する価値、
    とりわけ「個人の尊厳」の理念を広く国民に周知すべく一層の努力を続ける。


2014(平成26)年10月17日
中部弁護士会連合会 





提 案 理 由

 1 憲法改正の動向

(1) 1947(昭和22)年5月3日の日本国憲法施行当初より、一部の国会議員や国民から憲法第9条の改正を求める声はあった。しかし、衆議院及び参議院において総議席数の3分の2以上の賛成が得られる状況にはほど遠く、憲法第9条の改正については国会の発議すら実現することはなかった。

ところが、2012(平成24)年12月16日に実施された第46回衆議院議員総選挙において、与党が衆議院の総議席数のうち3分の2を超える議席を獲得した後、与党のみならず野党からも憲法第96条の改正を求める声が大きくなり、これまでになく憲法改正に向けた動きが強まった。こうして憲法第9条や第96条を中心とした憲法改正論議が活発になった。その後、2013(平成25)年7月21日に実施された参議院議員通常選挙の結果、憲法改正を求める勢力が参議院の総議席数のうち3分の2を超える議席を獲得するに至らなかったため、憲法第9条や第96条改正の動きは一旦下火になった。しかし、与党は、衆議院及び参議院において、未だ多数の議席を保持しており、一部の野党との間で見解のすり合わせがなされれば、依然、憲法改正の発議がなされる可能性が高い現状にある。

(2) ところで、2000年代に入った頃から、個人、政党及び各種団体は、それぞれ独自の憲法改正案を打ち出すようになった。 現与党の自由民主党(以下「自民党」という。)も、2012(平成24)年4月27日、憲法改正草案(以下「自民党憲法改正草案」もしくは「草案」という。)を打ち出した。ところが、自民党憲法改正草案は、憲法第9条や第96条だけにとどまらず、一般的な人権制約原理として「公益」「公の秩序」条項を新たに盛り込んでおり、不当に人権を制約し、「個人の尊厳」を脅かすおそれがある。また、家族の尊重義務及び相互扶助義務を国民に課すことによって、個人を家族という共同体に埋没させ、やはり「個人の尊厳」の軽視につながるおそれがある。自民党憲法改正草案は、「個人の尊厳」を後退させるものと言わなければならない。

現在の衆参両議院における議席状況からすれば、最も実現可能性が高いのは、この自民党憲法改正草案である。しかし、自民党は、これまで国民の知る権利等を不当に制約する特定秘密保護法を成立させるにとどまらず、集団的自衛権の行使を容認することによって憲法第9条を弱体化させ平和主義を後退させようとしてきた。このように自民党が個人よりも国家や社会全体の利益を優先させる姿勢を明確に打ち出している現状を踏まえれば、「個人の尊厳」は危機に直面していると言わなければならない。



 2 人権制約原理の改悪

(1) そもそも基本的人権とは、人間がただ人間であるということにより当然に有する権利である。すなわち、人間が社会を構成する自律的な個人として自由と生存を確保し、その尊厳を維持するために必要な一定の権利については、当然に人間固有のものとして認められるのである。このような人権概念は、後に述べるように人類の長年にわたる闘争の歴史の中で獲得され、確立されてきたものである。

かかる人権の固有性を前提として、前国家的に存在する人間固有の権利を憲法が実定的な法的権利として確認したものが基本的人権である。したがって、人権ないし基本的人権の本質は、固有の権利、すなわち天賦人権の思想に基づくものであって、このような天賦人権の思想を否定することは、人権ないし基本的人権そのものを否定するに等しい。

(2)  ここで、人権の歴史を簡単に振り返る。

1215年のマグナ・カルタを皮切りにイギリスにおいて登場し発展した国民の権利概念は、自然権思想や社会契約論と結びつき、18世紀末、近代市民革命とともに近代的な人権宣言が誕生した。その後、人権思想が衰退した時期もあったが、第2次世界大戦の苦い経験によって、人権思想は再び見直されるに至った。

20世紀の人権宣言は、19世紀の人権宣言が自由権を中心とする自由国家的人権宣言であったのに対し、社会権をも保障する点に特徴がある。また、人権を国内法的に保障するだけでなく、国際法的にも保障しようとする傾向が強まったことも特筆すべき点である。その代表例が、1948(昭和23)年12月10日に採択された世界人権宣言である。世界人権宣言は、それ自体、法的拘束力を有するものではない。また、起草過程においては、東西冷戦のあおりを受け、激しい政治的対立も生じた。採択にあたって、それぞれの思惑から棄権した国もあった。しかし、最終的に世界人権宣言は、多様な考えを持つ人々の要求を盛り込み、国際的普遍的規範として完成した。

世界人権宣言前文は、まず、人権が「世界における自由、正義及び平和の基礎」をなすこと、すなわち人権こそが世界秩序の基本原理であることを確認した。その上で、世界人権宣言が、人権の尊重を促進し、人権の承認と遵守を確保するため、「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」であることを明らかにした。そして、第1条で、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。」と定めたのである。その後、世界人権宣言を受けて、1966(昭和41)年、国際連合総会で国際人権規約が採択され、日本も1979(昭和54)年、これを批准した。

(3) 世界人権宣言及び国際人権規約に先立ち、日本国憲法は、国民主権、基本的人権の尊重及び恒久平和主義を3つの基本原理として、1946(昭和21)年11月3日に公布、1947(昭和22)年5月3日に施行され、今日に至る。

日本国憲法が定める3つの基本原理の根底には「個人の尊厳」がある。まず、基本的人権は「個人の尊厳」なしには認められるものではない。次に、国民が国の政治的意思を決定する最終かつ最高の権威を有するという国民主権も、国民が個人として尊重されて初めて成立する。さらに、基本的人権は平和なくして確保されないという意味で、恒久平和主義も「個人の尊厳」と密接に結びついている。

他方、基本的人権も絶対に無制約ではない。人が他者との関係なくして生存することはできない以上、人権も他者との関係で制約される余地があることは当然である。憲法は、このことを踏まえ「公共の福祉」による人権の制約を認めたのである。しかし、人権制約原理としての「公共の福祉」は、あくまでも人権相互の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理に基づくものである。すなわち、「公共の福祉」とは、人権自体に内在する制約可能性を示すものにすぎず、外在的要因による人権制約を許容するものではない。

(4) ところが、自民党憲法改正草案は、国家の安全、国家的利益や社会秩序の維持といった外在的制約を当然に含む「公益」「公の秩序」を「公共の福祉」に代わる新たな人権制約原理としている。草案第13条は、「全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他国政の上で、最大限に尊重されなければならない」とする。それだけでなく、草案第21条第2項では、表現の自由を保障した第1項を受け、「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」とし、表現の自由に対する外在的制約をも認めている。

しかし、「個人の尊厳」とは、価値の究極の担い手は、国家や社会全体ではなく個人であり、全体は個人のために存在意義が認められるという理念である。したがって、「公益」「公の秩序」といった国家や社会全体の利益が人権を制約する原理になり得ないことは明らかであり、これを許容することは、人権そのものを否定するに等しい。 また、「公益」「公の秩序」による人権制約を許容することは、国民主権を機能不全に陥らせるおそれもある。主権者である国民の意思を国政に反映させるためには、前提として国民が適切な情報に基づいて物事を判断し、自らの声を国政に反映させるために表現の自由が手厚く保障される必要がある。しかし、「公益」「公の秩序」の名の下、表現の自由・知る権利が広範に制約されれば、民意の形成・反映過程に瑕疵が生じるのである。

さらに、「公益」「公の秩序」による人権制約は、恒久平和主義の破壊にもつながりかねない。かつて日本は、国家や社会全体の利益を個人に優先させて戦争へと突入し、その結果、多くの尊い人命が失われた。私たちは、このような過ちを二度と繰り返してはならず、その決意を込め、恒久平和主義を謳った日本国憲法を制定したのである。

(5) 以上のとおり、「公益」「公の秩序」による人権制約の許容は、世界人権宣言で確認された国際的普遍的価値である人権思想に反するものであり、また、「個人の尊厳」を中核とする日本国憲法の基本原理、すなわち、基本的人権の尊重、国民主権、恒久平和主義を大きく損なうものである。



 3 家族条項の導入による「個人の尊厳」の後退

(1) 近年、「家族」や「家庭」という概念を憲法に導入すべきであるとの論議が見受けられる。例えば、社団法人経済同友会憲法問題調査会が2003(平成15)年4月に発表した「憲法問題調査会意見書」、読売新聞社が2004(平成16)年5月3日に発表した「憲法改正2004年試案」、民間憲法臨調が2005(平成17)年5月3日に発表した「国家のグランドデザインを描くなかから新憲法の創出を−民間憲法臨調提言」、前述の自民党憲法改正草案等である。これらの論議がなされる背景には、家族の絆の弱まりや家族を軽視する風潮に対する危機感があり、憲法で家族の尊重義務や相互扶助義務を設けることによって、その風潮に歯止めをかけようという問題意識がある。

確かに、日本における家族観は、戦後、社会情勢の変化とともに移り変わってきた。1960年代頃からの核家族化に始まり、現在では晩婚化、非婚化、少子化が進行し、ときには事実婚が選択され、また、離婚件数や再婚件数は増加傾向が見られる。改正論者は、このような現状について、家族の絆が弱まり家族が軽視されているとし、これを否定的に捉える。しかし、このような家族観の変化は、経済情勢や雇用環境の変化、女性の社会進出等個人のライフスタイルの変化とも密接に関連しており、個人が家族を軽視した結果とすべき確たる根拠はない。むしろ、この変化は、個人がライフスタイルを選択する自由が拡大したことを意味し、肯定的に捉えることもできるのである。

また、近年社会的な受容が高まりつつあるLGBT(性的少数者)によるパートナー関係のような伝統的な家族観に収まりきらない家族形態においても、当然、家族の絆は存在し家族は尊重されている。日本社会は、伝統的な家族観に沿わない家族形態に対し、必ずしも寛容な態度をとってこなかった側面もあるが、他方で差別や偏見を取り除くための真摯な努力もなされてきた。例えば、2013(平成25)年9月4日の最高裁判所大法廷決定において、非嫡出子に対する相続分を嫡出子の2分の1とする民法第900条が憲法第14条第1項に違反するとの判断がなされたことは、私たちの記憶に新しい。

よって、家族観の変化をもって、家族の絆が弱まり家族が軽視されていると否定的に捉え、それに歯止めをかけるため「家族」や「家庭」という概念を憲法に導入することは、家族観も自然に変化することを許容せず、伝統的な家族観を押しつけるものというべきである。

(2) 憲法に「家族」概念を新たに導入することについて、自民党憲法改正草案第24条第1項前段は「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される」と規定する。しかし、家族が尊重される前提として、まずは「個人の尊厳」が実現され、家族が個人の自由によって形成される場であることが確認されなければならないはずである。

この点、世界人権宣言第16条第1項は、個人が婚姻及び家庭(「家庭」と訳することが多いため、ここでは「家庭」と記載するが「家族」と同義と考えて差し支えない。)をつくる自由を有する旨、同条第2項は、婚姻することについて、個人は、完全なる自由を有する旨、それぞれ規定する。すなわち、これらの条項は、家族形成における個人の自由を認めており、「個人の尊厳」に基づく規定と理解すべきである。そして、これらの条項を受けて同条第3項は、「家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する。」とし、社会や国家が家族を尊重し、これを保護することを求める。このように、世界人権宣言は、家族の尊重が「個人の尊厳」に資することを確認している。

自民党憲法改正草案第24条第1項前段は、世界人権宣言第16条第3項を参考にしたとされるが、両者は、2つの点で大きく異なる。

一つは、家族を尊重する義務を負うのが個人か国家かの違いである。自民党憲法改正草案第24条第1項前段は、同項後段において「家族は互いに助け合わなければならない」と規定している点とも相俟って、個人に対し家族の尊重を義務づけている。他方、世界人権宣言第16条第3項は、家庭が国家・社会から保護される権利を有するとし、国家に対し家族の尊重を義務づけている。

もう一つは、「個人の尊厳」を前提とするか否かの違いである。前述のとおり、自民党憲法改正草案は、天賦人権の思想を否定し、「公益」「公の秩序」による人権制約を認め、「個人の尊厳」を損なう内容を含んでいる。他方、世界人権宣言は、第16条第3項の前提となる同条第1項及び第2項からも明らかなとおり、家族形成における個人の自由を認め、「個人の尊厳」を前提としている。

「個人の尊厳」を前提とせず、個人が家族に対して義務を負うこととなれば、個人が家族という共同体に埋没し、家族の価値が個人に優越されることによって、個人の自律性、自己決定の自由が侵害され、ひいては「個人の尊厳」を損なうおそれがあると言わなければならない。

(3) また、自民党憲法改正草案第24条第1項後段は「家族は相互に助け合わなければならない。」として家族が助け合う義務を定める。このような内容は他の改正案にも散見され、例えば、産経新聞社が2013(平成25)年4月26日に発表した「国民の憲法」要綱では、明確に「扶助義務」を負うとされる。このように家族間に相互扶助義務を課す規定を憲法に置くべきとする主張は、昨今の憲法改正論議における有力な主張の一つである。

家族間の相互扶助義務については、2014(平成26)年4月施行の改正生活保護法でも問題となっている。同改正法は、親族による扶養義務を生活保護に優先させるとまでは定めていない。しかし、親族に対する財産状況の照会制度が強化される等、扶養義務を生活保護に事実上優先させることになりかねないと強く批判されている。

生活保護法は、生存権(憲法第25条第1項)を保障するための根幹をなす法律である。もし、憲法改正によって家族の相互扶助が憲法上義務づけられることになれば、親族による扶養義務を生活保護に優先させる憲法上の根拠が与えられることになる。そのようになれば、親族による扶養義務を理由とした生活保護世帯の切り捨てが進行し、生存権の保障が図られず、やはり「個人の尊厳」が損なわれるおそれがある。



 4 当連合会としての今後の取組み

(1) 2007(平成19)年5月14日、国民投票法が成立し、2010(平成22年)年5月18日に施行された。また、2014(平成26)年6月13日には、改正国民投票法が成立した。この間にも、個人、政党及び各種団体等から憲法改正草案が次々に提案されるなど、憲法改正へ向けた論議は加速しているところ、憲法改正を求める自民党が衆参両議院で議席の相当数を占めていること、自民党憲法改正草案の具体的内容、自民党を中心とする安倍内閣が集団的自衛権の行使容認の閣議決定に踏み切ったこと等に照らせば、「個人の尊厳」を後退させる憲法改正が現実になされる危険性は高まっていると言わざるを得ない。しかも、これらの改正の動きは、主権者である国民の間で広く議論が行われた結果、提案されたものとは言い難い。

(2) 私たち弁護士は、基本的人権擁護を使命とする法律専門家として、近い将来に現実化するおそれのある憲法改正に備え、「個人の尊厳」を守るために積極的な活動を行う必要がある。当連合会は、「個人の尊厳」を後退させる現在の憲法改正論議に警鐘を鳴らし続け、日本国憲法が定める基本的人権の保障について正しい知識と理解を国民に広め、「個人の尊厳」が天賦の人権として価値を有することを広く国民に浸透させることを決意した。

よって、頭書のとおり宣言をするものである。


以上

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