中部弁護士会連合会

中弁連からのお知らせ

立憲主義と基本的人権尊重原則の堅持を求める宣言・提案理由

1 改憲論の概括と本宣言の趣旨について

近年、政党、経済界、新聞社などから憲法改正に向けた意見が発表されている。昨年は衆参両院の憲法調査会が最終報告書を提出し、自由民主党が新憲法草案を発表した。民主党・公明党も憲法改正案を作成する方針である。

これらの改憲論には、憲法を国民の行為規範としようとするもの、現憲法の「公共の福祉」に代えて「公益」「公の秩序」等による人権制限を明記しようとするもの、日本の伝統・文化・歴史等を明記しようとするものなどがある。

われわれは、これらの改憲論が、現行憲法の基本的人権尊重原則を後退させ、変質させかねないことを危惧する。

当連合会は、2004(平成16)年定期弁護士大会決議において、国際紛争を武力によって解決しようとする一切の行為に反対し、平和主義の理念のいっそうの定着と推進に努力し、かつ、国権の濫用を規制するという憲法の本来の意義を徹底するために、全力を尽くす決意を表明したが、近時の改憲論の具体化を踏まえ、改めて立憲主義と基本的人権尊重原則の堅持を求めるため、本宣言をする。

2 憲法を国民の行為規範としようとする改憲論について

    改憲論には、憲法を「国民と国家の強い規範として、国民一人ひとりがどのような価値を基本に行動をとるべきなのかを示すものである」とするものや、国民に対し「国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る」ことや「自由及び権利には責任及び義務が伴う」ことの自覚を求めて国民の義務や責任を強調するもの等がある。これらは、憲法を、国家権力を制限する規範とするにとどまらず、国民の行為規範とする見解ということができる。

    しかし、国民の行為規範としての憲法を志向する考え方は、立憲主義に反するものであり、国民の基本的人権の侵害につながる危険がある。

    立憲主義は、基本的人権を保障するために、最高法規を定めて国家権力を制限し、その集中を禁じる考え方であり、「個人の尊厳(個人の尊重)」を実現するため、「人の支配」に代えて憲法による「法の支配」を実現しようとするものである。

    立憲主義は、国家権力によって個人の尊厳が蹂躙されてきた歴史の反省から生まれた普遍的原則であり、憲法を論じる上で大前提となる考え方である。

    しかるに、憲法を国民の行為規範とする改憲論は、国民に憲法尊重義務を課し、国民をも憲法の名宛人とし、その結果、国家による恣意的な人権制約の危険性を内包するという点で、立憲主義の理念の変容・後退を迫るものであり、許容することはできない。

3 「公益」、「公の秩序」等による人権制限を認めようとする改憲論について

    改憲論の中には、人権制限概念について、現行憲法の定める「公共の福祉」を「公益」「公の秩序」「公共の利益」に置き換えようとする見解がある。「国家の安全と社会秩序を維持する概念」あるいは「国の安全や公の秩序、国民の健全な生活環境を確保する全ての事柄」による人権の制限が可能であることを明確にすることを主張する見解である。

    かかる議論は、基本的人権に優越する全体の利益を想定して、人権を制限することを認めるものであり、基本的人権尊重の原則に反するものである。

    こうした「公益」「公の秩序」等による人権制限を承認するならば、人権制限は容易になり、国家目的のための恣意的な人権制限を招く危険性があり、人権制約の合憲性についての司法審査もその機能を著しく低下させることとなる。ひいては人権を明治憲法下と同様の「法律の範囲内において」保障されるに過ぎない権利に変質させ、立憲主義の理念に反することとなる可能性がある。

    戦後の憲法学は、「公共の福祉」による人権制限を最小限とするため、努力を重ねてきた。通説的立場は、「公共の福祉」を人権相互の調整原理としてのみ正当化できるとし、また、人権制限が許容される具体的な基準を見出し、これを精緻化してきた。憲法学の営為は、抽象的な「公共の福祉」概念を、現行憲法の根本規範たる基本的人権尊重原則に矛盾しない概念として構成することに向けてなされてきた。判例も、安易に「公共の福祉」という抽象的な理由を掲げるのではなく人権の性質等に応じてより具体的な判断基準に立って人権制約立法の合憲性を審査したり、精神的自由権は経済的自由に比して優越的地位を占めるという「二重の基準論」を取り入れてきたが、これは前記の憲法学の営為を反映するものである。上記見解は、憲法学や判例の努力によって限定されてきた「公共の福祉」を新たな「公益」等の概念に置き換えようとするものであり、基本的人権の保障に向けてなされてきた長年の営為を無にする危険性がある。

    新たな人権制約概念を導入する見解には、「国民の価値観の多様化や個人の権利・自由の拡大につれて、国民の間では、責任を伴う個人主義でなく、無責任な利己主義が蔓延しつつある」等の認識が見られる。しかし、仮に国民の一部に利己主義的な傾向が見られるとしても、その原因を憲法の基本的人権尊重原則に求めることは、理由がない。むしろ、国連規約人権委員会等からわが国政府に対して、多項目にわたる勧告や指摘がなされているように、いまだ、わが国の人権保障レベルは、国際水準からの批判を免れない状態にあり、人権保障の徹底こそが求められている。

4 日本の伝統・文化・歴史の明記を求める改憲論について

    改憲論には、「日本の国土、自然、歴史、文化など、国の生成発展についての記述を加え、国民が誇り得る前文とする」、「日本人のアイデンティティーを共有できる記述が人類普遍の原理とともに必要だとの議論もある」、「憲法前文には、日本の歴史、地理的環境と風土、文化等の特色を踏まえた『この国のかたち』などの要素が、明らかに示されるべきだと考える」等とし、伝統・文化・歴史等、日本に固有の価値を憲法の中に盛り込もうとする議論がある。

    しかし、日本の伝統・文化・歴史や日本人のアイデンティティー等に関する認識、評価は様々であり、これらを国家の最高規範である憲法に明記することは、特定の価値観を憲法の名によって国民に押しつけることにつながり、国家が個人の内面に介入する結果を招く危険がある。この点、有力な改憲論が、個人の世界観・人生観に深く関わる信教の自由を保障する政教分離原則の緩和を同時に主張していることにも注意すべきである。また、こうした改憲論には、日本国憲法が、わが国が引き起こした戦争に対する徹底した反省の上に立ち、平和国家としての存立と発展をめざすという平和主義を根本精神としていることを曖昧にしようとする傾向が見られることも危惧される。

    憲法の中に日本の伝統・文化・歴史等を定めることには、慎重でなければならない。

    われわれは、思想・良心の自由、信教の自由、学問の自由、表現の自由等の基本的人権の徹底した保障こそが、日本の伝統・文化・歴史等に対する認識を深め、議論を活性化し、これらの内実を豊かなものとする契機となることを確信する。

われわれは、基本的人権の擁護を使命とする者として、基本的人権の保障を後退させるあらゆる改憲論に反対するとともに、今後とも基本的人権保障のいっそうの徹底と、拡充、発展のため全力を尽くす決意である。

以 上




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